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数学(算数)は全部電卓を使用するべき?思考過程と結果から考える手計算の意味

面白いまとめ記事を読みました。

日本の数学って頭おかしくね? ぶる速-VIP

 

簡単に意見をまとめると、どうやら言いたいことはこんなこと。

・電卓を使えば済むから手計算はいらない

・計算過程より結果の方が大事

・手計算は何の役にも立たないニートを作る底辺教育

 

中々思い切った面白い意見ですね。結論から言って私はこのような意見に賛成できません。手計算教育が必要のないものだとも思っていません。

 

手計算をなくして電卓を使えばいい?

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多分大人になってから手計算をする機会なんてほとんどないって人は沢山いると思います。実際仕事をするとなると手計算はやはりスピードに難がありますし、そもそも効率の良い電卓を使わない理由がありません。

レジ打ちがすべて手計算だったら困りますよね。そういうことです。

 

じゃあ大人になって使わないから手計算はいらないのか。

そうではないと思うんです。

 

例えば、小学校の教育。掛け算割り算のお勉強をしているとしましょう。ここですべての計算を電卓に任せるとどうなるか。

 

7 × 5 = ?

 

電卓で打つと35っていう答えは出てくると思います。

「よくできました。これで掛け算は完璧だね!」

「他の計算も同じように叩けばいいだけだよ。」

「それじゃあ、次のお勉強にいきましょう。」

 

 

…それはおかしいですよね。

 

この一連の流れの中で生徒が学んだことは「掛け算」ではなく「電卓の打ち方」です。いわば道具の使い方を学んだわけです。当然道具の使い方は知っておくべきですが、今必要なのはそこではない。

 

これでは何故35になるのか理解できません。それに対して手計算は違います。暗記すれば35という答えは出ると思いますが、納得はできないはず。だから生徒は「何で?」と考えることができるのです。

 

そこで先生が「7が5つあったら7+7+7+7+7になるでしょう。」と教えてあげればやっと掛け算に対する理解が深まるわけです。この思考するという行為は手計算ならではのものであり、電卓にはないものだと思いませんか。

 

計算課程よりも結果が大事?

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さきほど手計算を思考ができる要因だと言いました。ただ、だからといって手計算の方が優秀だという証明をしたわけではありません。

 

そもそも「思考」することが大切なのかという話になります。

電卓を重んじる人は「過程<結果」という意見を持っているようです。まあ、確かに電卓さえあれば結果は出てしまうので、その考えの元なら手計算は電卓の完全劣化でしょうね。

 

ですが、私は過程よりも結果を重要視するべきと思ったことはありません。それどころか計算過程こそが重んじられるべきであると考えています。

 

先ほどの7×5の説明。これは言うまでもなく計算過程の方が大事だと思っているからこその説明でした。もっと説明するならば、もし「過程」すなわち「思考」が必要ないとすれば、みんなが電卓やCPUに計算を任せることになるでしょう。そうなるとそれ以上の物ができなくなるのです。

 

電卓やCPUという物は人間が作ったもの。限界があるのです。もし人間がそれを使えばいいと思ってしまったら、そこからの進化はありません。私たちの知能はここで止まるのです。

 

プログラミングなんかもそうです。

プログラマーは既存のソースを組み合わせでプログラミングをすることが多いそうですが(企業から来た講師の方が言ってました)、それしかできないプログラマーがゴミのようです。

 

これは、道具を使うことしかできない人は、思考ができる人よりも使えないということでしょう。だから私はプログラミングはまず思考過程を学べと教え込まれました。

 

数学(算数)にも通じることだと思いませんか。

 

手計算は何の役にも立たない

 

これは完全にです。なぜなら手計算(暗算)をするしかない時に困るから。そんな場面ないだろと思うかもしれませんが、電卓を持ち運ぶ機会の方が少ない気がします。

 

お釣りを払うときにわざわざ電卓打ちますか?そういうことです。

 

「手計算と暗算は関係ない」という反論もさせません。電卓に頼るということは思考を止めるということと同義です。暗算は思考の塊ですので手計算と同じように考えていいでしょう。

 

それでも思考過程より結果が重要視される場合がある

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ここまで「思考過程>結果」ということを言ってきましたが、実はそうではない場合も存在します。

 

それが試験。

 

特に学生は数学の試験を受ける機会が少なからずあります。中には電卓を使わなければ面倒すぎる長いものも。

 

これは私は別に電卓有りでいいと思っています。だって試験の前に思考しているでしょう。学ぶ段階で思考を止めることはあり得ませんが、試験は答えを出すためのもの(先生に聞いたら多分反論されると思いますが)です。わざわざここで手計算をする必要性はあやしいと思いませんか。

 

特にセンター試験。これは酷いくらい思考を止める試験です。

そもそもセンターの目的が「思考過程」ではなく「素早く正確に答えを導き出す」ことなので、当たり前といえばそうなんですが、これが本当の数学だ!なんて言われたらしっくりきませんよね。

 

おわりに

 

このように、学生のうちはどうしても「思考過程<結果」となることがあります。しかし、大人になってからはむしろ思考のできない人間はゴミ同然です。

 

ゴミ溜めに入らないために学校で思考することすなわち手計算を学ぶのです。それを電卓に変更するということはゴミを増やすということです。それはいけません。環境汚染です。

 

「電卓さえあればOKドヤ」とか言っちゃう人は数学の本質を理解できていないですし、そもそも理系全般を理解できていないと思います。

 

大切なのは考えること。

絶対に忘れないでください。

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